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”リーマン人生「みんな生きている」”

世界デザイン博覧会期間中は毎日パビリオンでご来場者のアテンド。
その広告代理店からの出向要員は新入社員俺ひとり。ポツン。

VIPアテンド。某企業お偉いサマ来ました。名刺交換しました。
磨き込まれたそのお顔には「なんでこんなメガネ青二才が........?????」
.......ってな電通では絶対あり得ない事を平気でする会社ではあった。
本当に人員がいなかったダケなんだけど。


その無謀なパビリオンを簡単に紹介。

クライアントは”全日本遊技場連盟”というパチンコレジャー業界の大本山。
警察庁が母体の今で言う「○下り組織」だけどね。

パビリオンの内容はパチンコパチスロの歴史を紹介するもの。

日本最初のパチンコ台の展示や最新CGを使ったパチンコバーチャルシアター、
そして一番のウリがその名も「パーラーゾーン」
パチンコパチスロ最新機種を”誰でも無料で”体験出来るコーナー。

これが子供中心に大人気。お盆中には最大待ち時間4時間半を記録。日射病対策や
行列の人員整理だけでも大仕事。扇動事故が一番危険なので誘導には相当気を遣った。

世界各国や日本中の団体さん、国内外のメディア、関連企業お偉いさん、
幼稚園遠足から高校生修学旅行、はたまたご皇室の方まで。
(もちろん皇室の方はウチの社長とクライアントトップが応対です)

本当に様々な方達が来場された。


その中でも特に多かったのが身体障害者の方々。

概ね2日に1団体がご来場。数人のグループから数十人の団体。
休日だと1日4団体という日もあった。

盲目、聾唖、下半身不随、事故切断、脳障害、小児麻痺、筋ジストロフィー症、
パーキーソン病、精神障害、自閉症、原因不明の発育知的障害...................

5ヶ月の間にありとあらゆる身体障害者の方々が我がパビリオンを訪れました。

生涯パチンコ体験する機会も殆ど無い身障者の方々に当館は絶大な人気だった。

身障者の方は待つ事無く優先入場して頂くシステム。
事前に予約も入るので朝礼で時間と団体名をコンパニオンやバイトに伝達し、
”失礼”の無いようにアテンドをする指示を出していた。


デザイン博覧会開催直後のある日、初めての十数名の身障者団体さんがご来場。
おそらく小児麻痺だろう、車椅子での生涯を余儀無くされた方達。
伝えたい事も言えず、動かしたい体も動かせず、介護無しには生きてゆけない。

俺は車椅子の側で”しゃがんで”「ようこそいらっしゃいました」と入場する1人1人に
笑顔で告げた。そこに何の他意も無かった。ごく自然とそうしてた。

全員入場完了、ホッとしてると、その養護施設の女性の所長さんに呼び止められた。


『....大変差し出がましい事なんですが........』


『彼らにはもっと普通に接してあげて下さい。彼らは貴方と同じ人間で動物でもなく人形でもありません。しかも貴方よりもずっと永く人生を生きてます。外見は小さくても中身は立派な1人の人間なんです。きちんと考える事も理解も出来ます。ただそれをうまく伝えられないだけなのです。本当に初対面の貴方には失礼としか言いようが無いのですが、これからも大勢の障害を持った方がここを訪れる事でしょう。その時の為に少しでも貴方のお役に立てればと思いまして.......』


しゃがんで彼らより下の目線で、しかも満面の笑顔で言った言葉が彼らに取っては何よりの屈辱だったのだと瞬時にわかった。


・・・・【私達は子供や赤ちゃんじゃない。特別扱いしないで欲しい】・・・・


体全体でそう訴えても相手には伝わらない。そんな辛く苦しい思いを何度も何度も何十年も耐えてきたんだ。


「本当に申し訳ありませんでした。ご忠告ありがとうございました」


深々と所長さんにお礼をすると同時に自分を心から恥じた。世間を知らない新入社員だから.....で許される事では無かった。もしその忠告がなかったら、一体どれだけの動けない心を踏みにじった事だろうか。

俺の心には間違いなく彼らを「可哀相だな」と思う同情と憐れみがあった。

それを、目で、耳で、声で、オーラで、匂いで、五感で、彼らは瞬時に察知する。

そして心の扉を閉じてしまう。


身障者への接し方のマナーで言えば日本はどちらかと言えば後進国だろう。パラリンピックの扱い方も世界レベルで言えばどうだろうか。困っている身障者を見つけたら、さっと寄ってさりげなくサポートして安全な状態を確認したら、普通に挨拶してさっと去る。欧米では日常の光景。身障者からも遠慮無くサポートを頼める心の地場が出来ている。

アメリカがエンターテインメント大国である所以は、個人主義の持つ意義を本当に理解している事にあるとも言えるだろう。


最初は誰でも身障者への接し方に戸惑いを覚えると思う。基本の心得は必要だ。しかし開催前の会議でも防災等の講義はあっても”障害者アテンド”の項目は無かった。動線の建築構造指定のみ。あくまでハードだけの対応。

まだまだバブルの影響下だった90年代初頭。それはマジョリティにしかフォーカスが当たらない心貧しい時代だった。

その後もパチンコパビリオンには何百人もの身障者の方々が来場された。
スタッフにもしっかり指示をし直した甲斐もあってか、以降そういったクレームは無かったように思う。

何より生まれて初めてのパチンコを体験した彼らの笑顔は皆本当に楽しそうだった。

コンパニオンのアテンドも自然に出来ている、楽しく会話もしている。
中には自分で手話を会得したコンパニオンもいた。

ある知的障害の子は俺やコンパニオンにその不自由なちっちゃな手で握手を求めてきた。
そしてなんとか聞き取れる声で「ありがとう」と言ってくれた。
握手する度に手を離さない。介護の人が強く手を引っ張って離したら大泣き。
小さい体全部震わせて壊れてしまうほどに。
泣きながら精一杯振ってくれたそのちっちゃな手が人垣に消えるまで皆で見送った。


身障者の来館時は必ず全員が安全に退場するまで見届ける。
「今日は本当に有り難うございました。彼らのあんな生き生きとした笑顔初めて見ました」
と代表の方に涙ながらにお礼を言われた事もあった。

しかしそれを言いたいのは本当は俺だった。

養護施設は彼らを自立させる為に厳しい訓練や過酷なリハビリを日課とする。
その厳しさが本当の優しさを産む事を、心からの笑顔で彼らは俺に教えてくれた。


会期終了まで、毎日その教えを頭に思い出しながら身障者アテンドしていたつもりだが、
果たして本当に楽しい想い出を”一生のお土産”にして頂いたのかどうか.........

街で身障者の方を見かける度に今も想い出す。

”リーマン人生「みんな生きている」”_f0000655_17511083.jpg
by aquio910 | 2006-06-12 17:34


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